古墳・飛鳥時代

■古墳時代の熊本市は、どんな様子だったのでしょうか。
■まず、熊本県は装飾古墳(古墳内部に図や絵が描かれた古墳)の多さでは、全国でも群をぬいています。県内で193もの装飾古墳があり、これは全国の3割にあたります。
■熊本市内で有名な古墳は、小島町にある千金甲古墳群です。この内部の様子(左写真)は、熊本県立美術館の装飾古墳室に再現してありますので、ぜひ見に行ってみましょう。この古墳は入り口が細長く(人が1人入る程)、中が開けていて、丸や四角・三角の図案が描かれています。
 
(写真のように、今では草むらでおおわれています)
■県内では、装飾古墳は、以下の順で100年近くをかけて広がっていったそうです。(八代・天草→宇土半島→熊本平野→菊池川流域) 
■一新小学校付近では、第一高校運動場(写真:草むらで穴が隠れています)に面した崖には古城横穴墓群というのがあります。6〜7世紀と言われています。横穴は全部で49もあり、その1つからは、「火守」と読める文字?が書かれた石が出てきました。また、熊本城のことを後述しますが、その前身である千葉城跡(現NHK会館)からも横穴古墳が発掘され、土師器や須恵器も出土しています。
■一方、大和政権の直轄領である春日部の屯倉もおかれたといいます。熊本市、春日あたりです。

■では、飛鳥時代の熊本市は、どんな様子だったのでしょうか。
■中央では聖徳太子が官位十二階や17条の憲法を作成していますが、その聖徳太子を祭った太子堂なるものが城山頂上(高橋町)にあります。
■熊本でも、この律令時代後半には、班田制が始まっているようです。「律」は刑法を意味し、「令」はそれ以外の法律を意味しており、中国に習って、採用されたものです。
年表















300年
前方後円墳等々登場
400年
巨大古墳登場(応神天皇陵・仁徳天皇陵等々)
はにわ・勾玉等々の埋葬
千金甲古墳群(熊本市小島町)
500年
江田船山古墳(熊本菊池)・銘文太刀出土


593年
推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政となり、蘇我氏が権力を握る。
・600年
遣隋使派遣
603年
冠位十二階・飛鳥京

604年
17条憲法
630年
遣唐使派遣
645年
大化(年号の開始)の改新(孝徳天皇)
652年
戸籍を作成・難波京
667年
大津京
672年
壬申の乱
694年
藤原京・高松塚古墳
701年
大宝律令(班田収授法・租庸調の税制等々)
703年
庚午年籍という戸籍原簿作成
708年
和同開珎発行